ありのままを出すべきか、作った自分を出すべきか② | 面白いほど就職活動がわかるBlog -an easy guide to job hunting-

ありのままを出すべきか、作った自分を出すべきか②

①そもそも”作った自分”、”ありのままの自分”とは何なのか=言葉の定義
②内定をもらうには、”作った自分”と”ありのままの自分”のどちらが決まりやすいか=内定の手段
③”作った自分”で内定をもらうことに罪悪感を感じないのか、一方で”ありのままの自分”で落とされれば納得できるのか=自身の道徳観

今日は①について。とにかく①~③を混ぜないことが大事。今日は②③は考えない(って上に載せちゃってますが)!

”作った自分”、”ありのままの自分”にも、二つあります。

●話の中身が作ってあるのか、ありのままなのか
●話し方、キャラクターが作ってあるのか、ありのままなのか


たぶん皆さんが連想するのは、話の中身を作りすぎて、それを伝えようとする内に自分らしい話し方もできなくなって、混乱するって感じかもしれませんね。


さて、”作った自分”と”ありのままの自分”の定義ですが、正直、この線引きが難しい。。。

だって、気に入ったコとデートに行く時は、カッコつけますよね。普段とはちょっと違うとっておきの服を着て、普段は行かないような場所に予習までして誘ったりする。これって、作ってますか?

もちろん無理しちゃう人もいますよね。背伸びしまくって、あきらかにぎこちない。これは作っているというか、作りすぎです。


個人的には、この「気に入った異性を最初のデートに誘う時」ぐらいが、作った自分とありのままの自分の境界線かなと想っています。


素で”好きだ、何とか仲良くなりたい”という気持ちから、自然に導き出される自分のアピ-ルの仕方なんですから、ある意味でありのままだし、でもちゃんと自分を見てもらうために多少の良い部分を出さなくてはいけない。

こうやって考察して無理矢理まとめるならば、「自分の悪い部分はあまり見せずに、良い部分だけを、適度な範囲でより良く見せる」という状態が、何かをアピ-ルしたい他者がいる状態における”作ること”と”ありのまま”の境界線なのかもしれません。

良いところにウソを並べて、悪いところも良く見せようとすると、かなり作った自分だし、一方で悪い部分も自分だと曝け出して、良い部分も自然にわかってもらえるだろうと何も伝える努力をしないとありのままになってきます。

イメージ湧きますか?

こんな定義を議論してても、あんまり内定には役立たないので、とりあえずデートの時の気持ちを基準に考えて行きましょう。

そういうわけで、続く。